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冬が来た。ベランダに出て煙草に火をつけ、煙を吐いたら、突然やって来た。やっと来てくれた、と私は安堵する。私は冬が来たら、空を飛ぶと決めていたから。

 

同棲していた男がある日突然消えたあの朝。その日は私の誕生日だった。テーブルの上には殴り書きされたメモが一枚あった。今までありがとう。さようなら。たったの二行で終わった私たちの時間は、私に寂しさと虚しさを押しやるように贈りつけてきた。私はそれを、余りの勢いにうっかり受け取ってしまった。すると突然、目の前に孤独が現れたのだった。

 

彼がいなくなってからの生活はその孤独との闘いだった。孤独は、どんなに私が抗おうと容赦なく私の腕を掴んで離さなかった。最初こそ抵抗して見たものの、不思議なもので、私はいつのまにか孤独と慣れ親しんでしまった。気が付けば挨拶をしあい、手を繋いで散歩をし、向かい合わせで食事をとり、一緒に風呂に入り、並んで眠った。そうしていつの間にか私は、孤独の言うことをよく聞くようになった。孤独は家からほとんど出ないよう私に言い聞かせる。仕事もやめるように言った。家族や友人に会うことは禁止された。
貯金はだいぶあったし、家族とは上京を機に疎遠になっていたし、友人などこの街に一人もいなかった私には、何の差し支えもなかった。
私はどんどん孤独の言うがままに生活した。

 

貯金がなくなることに気付いたのは金木犀の季節だった。冬になれば底を尽きるだろうと思ったが、孤独との生活に馴染んでしまった私は働く気などなく、何かする気力も知らない内に失っていた。それを待っていたかのように、孤独は私に言った。ここで行き止まりだ、ゲームオーバーだ。これでお前には何もなくなったぞ、と。
そうか私の人生はもうゲームオーバーなのか。私はぼんやりした頭で納得した。
孤独が言う、何を思っている?いっそのこと景気良く行こうじゃないか。空を飛ぶんだ!
そうね、と私は相槌を打つ。そうねきっとそれが良い。けれど、ならば寒い寒い冬がいい、と私は思った。孤独も頷いていた。孤独と冬は仲がいいから、私も混ぜてもらうんだ。そう思って、私は冬が来るのを待つことにした。

 

念願の冬。寒い、寒い、冬だ。
空を飛ぶための準備など必要はなかった。ただ高いところへ上がって足を前へ、一歩踏み出せばいい。私は久しぶりに、ワクワクした。孤独は優しく笑っている。まるで、退屈な授業を終えて放課後に街へ繰り出す時のような、そう言うワクワクだ。
私は煙草を吸い終え急いで玄関へ向かった。サンダルを足につっかけてアパートの屋上に続く階段を駆け上がる。ワクワクは止まらない。孤独が私の後ろを笑いながらついて来ていた。
空気は研ぎ澄まされていて、息を切らす私の頬を刺す。さあいよいよだよ。孤独は言った。そうだねと私も応える。
ブワッと大きな風が吹けばスタートの合図だ。私はまた走り出した。そうして屋上のヘリを思い切り蹴飛ばした。孤独の姿は、もうなかった。
そして私は笑顔で、空を、飛んだ。