ある一日

窓の外はすっかり冬模様だった。寒々しい木々、静かな風、私には不釣り合いにも思えるベッドの中の温もり。私は煙草をふかしながら、ふと昔の恋人が私に言った台詞を思い出していた。
「君は僕に何を期待している?」
私はその時、何も、と答えた。翌日に恋人は居なくなった。不思議と寂しさも悲しみもなかった。
その古い恋人は私にとても優しくしてくれた。私は最初こそそのことに幸福を感じていたけれど、いつの間にかその優しさに辟易していった。私の左腕に刻み込まれた傷跡たちさえ愛おしいと言っていた彼だったが、私はその言葉を信じてはいなかった。彼の言う台詞は全て、まるで小説の主人公にでもなったつもりの、薄っぺらい言葉にしか感じられなくなっていたからだ。
「愛してる。」
彼はセックスを終えると決まってそう言った。愛してる。何を?どこを?私には余りにも難しい言葉だ。煙草を吸い終え、私は側にあったカミソリで左腕の傷を増やした。赤い血は美しく私の腕を伝い、そのうちに乾いてへばりついた。醜い。私は思う。赤い血の美しさはとてつもなく短いと。

ベランダに出ると吐く息は白くなって、冷たく静かな風が身を震わせた。腕の傷が少し疼いた。私はもう一度煙草に火をつける。去っていった彼は今頃、綺麗な腕の、綺麗な身体の、女を抱いているだろう。私もまたいつか別の男に抱かれるだろう。
「愛してる。」
二度と聞きたくない。私は思い、煙とも吐息ともつかない白い靄を目で追った。空に昇っていくそれは、まるで愛というものの不安定で頼りない様を表しているようだった。