彼女の明日

「明日になったら話すね。」
そう言って笑っていたのに。僕は彼女の遺体の前にいた。目の前にいるのが死んだ身体だと思えなくて、僕は涙も流れないまま立ち尽くしていた。

 

彼女の死因は入水自殺だった。遺書も何も残さず、彼女は死んだ。理由は誰にも分からなかった。まして笑顔の絶えない人だった彼女には、自殺なんて言葉は全く似合わなかった。泣き崩れている彼女の両親を前に、僕は彼女の頬に触れた。あまりの冷たさに驚いてすぐ手を引いた。あんなに温かかったのに。僕はその時やっと、彼女は死んだのだと理解した。言葉にならない気持ちが溢れて、僕は部屋を出た。

 

部屋の向かいに置かれた長椅子に座り、僕は俯き目を閉じた。瞼の裏に映るのは彼女の笑顔ばかりだった。彼女は誰の前でもよく笑っていた。誰の前でもニコニコして、そう、そうだ。僕は彼女の泣き顔を見たことがない。僕にあるように、彼女にだって辛いことがあるはずだった。僕は考えもしていなかった。彼女がいつも笑っていたから。気が付かなかった、彼女の中に巣食う何かを思うこともなかった。僕は彼女の笑顔に支えられてきたと言うのに、僕は彼女を支えられなかった。彼女が隠していたものに触れることができなかった。僕の中を後悔たちが駆け回る。僕らは幸せなんだと思い込んでいた自分が許せなかった。

 

しばらくして、彼女の両親もまた部屋を出てきた。頭を下げると、向こうもゆっくりと頭を下げた。
「美和子は、あの子は最後になんと言っていましたか。」
母親が僕に尋ねた。僕は絞り出すように答えた。
「明日になったら話すね。と、何かは、分かりませんが、そう言って、」
そう言って、笑っていました。そこまで言って、僕の目から涙がとめどなく溢れ出した。彼女の両親もまた、再び泣きながら、建物を出て行った。

 

もしかしたら、このことを話すつもりだったのかもしれない。一人で逝ってしまう前に、僕が話を聞いていれば何か変わっていたのではないか。少なくとも彼女が死ぬことはなかったのではないか。そんな気持ちに責め立てられ、僕は子どものように泣いた。泣いて泣いて、泣きつくして、もう二度と会うことのできない彼女に、届くはずもない声でごめんと呟いた。

 

すると彼女の笑顔が浮かんで、そっと静かに、消えていった。